【十勝平野】


少年時代の十勝はおそろしく遠いところで、
その中心である帯広にはずっと行ったことがなかった。
帯広の地に初めて降りたのは、今までも一度だけ、
友人が帯広に仕事を持ち住むようになってからだが、
駅前で名物の豚丼を食ったことが印象に残っているくらいだ。

釧路から札幌へは、さすがに何かの機会で何度か行っていた。
釧路から札幌へは、列車でいく。
一番早いのが特急「おおぞら」に乗ることだ。
しかし、まだ石勝線がなかった時代の、この特急はちっとも早くなかった。
札幌からの帰りにこの「おおぞら」に乗ると、
函館本線を北上し、約1時間かけて滝川から根室本線に入り、
難所の狩勝峠を越えてからもまだまだ列車は走り続け、帯広を過ぎる。
滝川から3時間はかかっていたと思うが、やっと池田町の駅名を聞いたあたりで、
「うへえ、あと2時間くらいだな」という感じ。
つまり6時間くらいはかかっていた。
同じ北海道の決して、はじからはじというわけでもない位置関係でも、
このくらいかかって特急おおぞらは走っていた。

今は石勝線のおかげで最速で4時間くらいの特急らしい特急が走るようになった。
それでも、5時間かける特急もまだあるし、
夜行の「おおぞら」は約7時間で走っている。

ところで、特急は特急料金がかかる。
なので、僕はもっぱら夜行急行を使って釧路、札幌間を行き来していた。
座席は堅い直角の背もたれのシート。ただでも疲れるこの場所で、一夜を明かすことの辛さよ。
ワンボックスを一人で得ることができても、
寝るにはボックスに非常に不自然な形で体を置くことになる。

片側の座席に体を横に置き、直角に足を投げ出して反対側の座席に足を乗せる。
これが基本形なのだが、この体勢も長くは続かない。
体は真上を向きたがる。そこで仰向けになって直角に足を上にあげて、窓の脇にもたれさせる。
このようなことをしたりする。
いずれにせよ、深く寝られるわけがない。
深夜に狩勝峠の前後で動力車を連結したり外したりする作業の際に、大きくガクンと衝撃が走る。
そこで、まず必ず目を覚まして、「やっと峠だなあ、はあ、先は長いなあ」などとぼやくのだ。

さて、札幌から列車で釧路に向かうとき、
「池田」という地名は大きなポイントである。帯広ではまだ遠すぎるのだ。
しかし、あと約100キロ地点である池田町は、もう一踏ん張りというか、もうひと我慢という
感覚になれる位置で、夜行でゆくと池田を過ぎてしばらくすると夜が明けてきて、
外の景色が広がってくる何となく救われるポイントなのだ。

しかし「晴れた日の ドライブは 早起きだって みんなでいくから」という歌詞は、
実際にはあまりないと思う。この作品シュチエーションは想像の産物で、
十勝平野を歌ってみたかったので、作った歌。
ずーっと広がるじゃがいも畑のイメージを歌ってみたかったんです。

だから、
「やがて広がる地平線 十勝平野の広さ 果てのない みどりいろ 空の青と重なれ」や、
「ひたすら目をこらし 遠くを見つめてた どこまで続いてる じゃがいもの平野」
というイメージは大人になってから、車で池田町を通ったときに初めて得たものです。